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【レポート】フィンランドのゲーム開発の歴史が丸分かり! タンペレの「フィンランドゲーム博物館」に行ってきた

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先に公開した記事でも触れましたが、先日フィンランド第二位の人口規模を持つ地方都市「タンペレ」に滞在した際、同市内にある「フィンランドゲーム博物館(The Finnish Museum of Games)」に行ってきました。

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正確にはここは「Vapriikki」という、様々な種類の博物館が1つの建物の中に入っている”博物館のデパート”的な複合博物館。かつてのエンジン&リネン工場跡を再利用した趣のあるリノベーション施設で、「タンペレの歴史」「考古学」「自然史」「郵便」「アイスホッケー」「メディア」「ゲーム」「人形」「天然石」といった複数の常設展示のほか、期間限定の企画展も開催されています。

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こんな見どころてんこ盛りの施設ですが、エントランスで入館料12ユーロ(約1600円)を支払えば館内全ての展示をいくらでも好きなだけ見ることができます。館内には食事もできるカフェも併設されているので、もう何時間でも、なんなら開館~閉館まで一日過ごすことも可能です。

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入館料を支払うと表がフィンランド語で裏が英語の館内案内図をもらえます。展示エリアは地上3階・地下1階で、ゲーム博物館は2階にあります。

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「フィンランドゲーム博物館」の正式名称は「Suomen Pelimuseo」。フィンランド語でSuomi=フィンランド、Peli=ゲーム、Museo=博物館の意味です。ここはフィンランドのゲーム業界、それも「ゲーム開発」に関するものを展示している博物館で、全て見ると同国のゲーム開発の歴史を何から何まで理解できるようになっています。展示物のキャプションはフィンランド語と英語の両方で記載されており、映像にも英語字幕が付いていたりと外国人の来館者にも配慮されている親切仕様です。

それでは博物館の様子と共にフィンランドのゲーム開発の歴史を紐解いていきましょう。

■フィンランドのゲーム開発の始まりはテーブルゲームから
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フィンランドが近代化する遥か以前、同国では老若男女の別なく皆何かしらのテーブルゲームで遊んでいました……ってそこから?!そう、この博物館はデジタルゲームだけでなくテーブルゲームも取り扱っているのです。フィンランドは冬が長く厳しいこともあり、屋内でも複数人で楽しめるテーブルゲームが盛んになりました。最初はチェスやトランプなど既存のものをプレイしていましたが、そこはDIY精神が旺盛なフィンランド人のこと、徐々にオリジナルのテーブルゲームを考案するようになり、やがて様々な種類のボードゲームとカードゲームが売られるようになりました。これがフィンランドのゲーム開発の始まりです。

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これはフィンランドの国民的叙事詩「カレワラ」をモチーフとしたすごろくのようなゲーム「SAMPO」。中央に各シーンを表したイラストが、その左右に各画面の説明文が書かれており、遊びながら自国の神話を学べるようになっています。

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この博物館の凄いところは、場内に展示されているほとんどのゲームをその場で実際にプレイできること。デジタルゲームだけでなく、貴重なテーブルゲームも説明書やコマまで復元され遊べるようになっています。テーブルにハッシュタグが書かれているあたり、SNS上での情報拡散もちゃんと想定しているんですね。

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最初は地味だったフィンランドのテーブルゲームも時代を経るにつれてフルカラーの派手なデザインに進化していき、コマも紙だけでなくプラスチックや金属といった丈夫な素材で作られるようになりました。

■デジタルゲーム開発の歴史は1979年から
今ではデジタルゲーム、特にモバイルゲーム開発で知られるフィンランドですが、その歴史はいつから始まったのでしょうか?実は同国初のデジタルゲーム…というか「ゲーム機」が開発されたのはなんと1955年だというのです。

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それがこの「Aapeli」。ただし市販品ではなく、フィンランド初のコンピュータ「ESKO」を構築した数学委員会に所属していたエンジニアが、同委員会の委員長の60歳のバースデープレゼントとした作ったもので、スイッチを上げ下げすることで2人対戦の戦略ゲーム「Nim」(日本名「三山くずし」または「石取りゲーム」)をプレイできました。しかしあくまでもこれは個人に対するプレゼントだったため、残念ながらこれをきっかけにデジタルゲーム開発が爆発的進化を遂げる…といったことはありませんでした。

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それが始まるのは70年代に入ってから。1977年にフィンランドのRCAマイクロチップの輸入業者のTelercasが組み立てキットタイプのミニコンピューター「Telmac 1800」を2000セット販売したことにより、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーのTechギークの間で同コンピューター上で動作するソフトの開発に火がつきました。そして遂に1979年、フィンランドの開発者Raimo Suonio氏がチェスゲーム「Chesmac」を開発。これは最終的に104本売れ、フィンランド初の「販売され利益が出たデジタルゲーム」となりました。それにしても「Telmac 1800」で動くチェスゲームだから「Chesmac」ってド直球なネーミングですね。

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その後1981年、早くも既存の作品をもとにした”二次創作”ゲームが登場します。それがこのDEC-20(かつて米マサチューセッツ州にあったコンピュータ企業Digital Equipment Corporationが販売していたミニコンピューター)向けゲーム「LORD」。J.R.R.トールキンのファンタジー大作「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」のストーリーを追体験できるゲームですが、もちろんこの時代にグラフィックを表示することはできないので画面は全てテキストで、ゲームブックをデジタルにしたような内容でした。

80年代には日本の任天堂が「ファミコン」を発売し世界的にもゲームコンソールの黄金時代が到来しましたが、当時のフィンランドは欧州の小国と見られており(現在も人口約550万人)、ゲームの翻訳&ローカライズが為されないばかりかゲームそのものを販売してもらえない所謂「おま国(お前の国には売ってやんねーよ)」をされまくります。また開発者にとっても任天堂のライセンス費用は高過ぎて参入できず、80年代のフィンランドのゲーム業界はコンソール向けではなくコモドールの8ビットホームコンピューター「コモドール64」向けのゲームを開発するようになります。

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こちらはスポーツ用品ブランドとして知られるAmer Sportsの開発部門であるAmerSoftが1986年にリリースしたコモドール64向けの畑耕しゲーム「Uuno Turhapuro muuttaa maalle」。AmerSoftは1984年よりゲーム開発に参入し、フィンランド国内向けの各種ゲームタイトルをリリースしたそうですが、この時代に既に別業種からの参入事例があったとは驚きです。

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このゲームはフロッピーそのものとパッケージも展示されていたのですが、ゲーム画面やイラストではなく「実際に畑を耕しているオッサンの写真」が使われていたのが面白かったです。これを見て「面白そう!」と思った子供っているんですかね?スポーツ用品ブランドなんだからスポーツのゲームを作ればいいのに。

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この博物館にはゲームだけでなく、「各年代ごとのフィンランドの典型的なゲーマーの部屋」も再現展示されていたのですが、まるでその時代を切り取って持ってきたかのような空気感が醸し出され何とも言えない味わいがありました。これは1985年のゲーマーの部屋で、机の中央にドン!とコモドール64が鎮座し…

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壁にスター・ウォーズとメタリカのポスターが一緒に貼ってあり

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本棚にジオラマとマンガが一緒に収納されているところとか最高じゃないですか?っていうかこの部屋の主はどこを切っても救いようのないオタクですね。

■デモパーティ「ASSEMBLY」によりゲーム開発者が激増
90年代に入ると、コモドールの「Amiga」やIBMの「PC/AT」といった高性能で複雑なホームコンピューターが「コモドール64」に取って代わり、それに伴いゲーム開発者にも高いスキルが求められるようになったため、いつしか一人の”スーパースター開発者”がゲームを作るのではなく、複数人で構成される”開発チーム”がゲームを作るようになりました。そんな中、開発中のデモを見せ合ったりプログラミングスキルを競う開発者向けイベント「ASSEMBLY Demo Party」が1992年よりヘルシンキで開催されるようになり、急速にゲーム開発者同士の交流と競争、およびゲーム開発者志望の子供・若者が激増。そこから、現在のフィンランドのゲーム業界を支える企業の一つ「Remedy Entertainment」が誕生します。

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もともとRemedyはASSEMBLYで知り合った人々が実家のガレージで起業した小さなゲーム開発会社でしたが、1996年にリリースしたMS-DOS/Windows向けコンバットレーシングゲーム「Death Rally」のヒットにより正式なオフィスを構え、後に「マックスペイン」シリーズ、「Alan Wake」シリーズ、「Quantum Break」と次々と話題作を生み出すヒットメーカーになりました。この「Death Rally」は現在SteamiOSでも配信されているので興味のある方はプレイしてみて下さい。20年でRemedyのゲームがいかに進化したかよく分かります。

こうしてPC向けのゲーム開発が盛り上がる傍ら、もう一つのゲームのムーヴメントが始まりました。

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Nokiaの携帯です。Nokiaは90年代より「いずれ人々は携帯電話でもゲームをプレイするようになる」と考えており、1997年にリリースした携帯電話「Nokia 6110」にアーケードゲームの定番であるヘビゲーム「Matopeli」をプリインストールしました。

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ヘビゲームとは、どんどん伸びていくヘビを操作して、尾が絡んだり障害物にぶつからないよう操作しながらエサを食べ続けるゲーム。「Matopeli」のグラフィックスはただの黒い四角のみで構成されたシンプルなものでしたが、それでもNokiaの携帯にプリインストールされたゲームタイトルの中では一番好評だったとのこと。

【レポート】フィンランドのゲーム開発の歴史が丸分かり! タンペレの「フィンランドゲーム博物
加えて、フィンランドのゲーマーが大喜びしたある出来事が起こります。これは1990年のゲーマーの部屋の再現展示ですが、他国から遅れること数年あまり、やっとファミコン(海外での名称はNES)がフィンランドでも販売されるようになったのです。

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日本だとファミコン&スーパーマリオブラザーズは80年代の思い出ですが、フィンランドでは90年代の思い出なんですね。

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再現部屋を見ると、ファミコンの他にもトランスフォーマーのジグソーパズルやらソニーのカラオケやら、妙に日本に関連したものがあるのが分かります。90年代はフィンランド人が「日本は面白いものがいろいろある国らしい」と気付いた時代でもありました。

■フィンランド製ゲームが世界で大ヒットする時代へ
2000年代に入ると、それまでフィンランド国内で醸成されていたゲーム開発のムーヴメントが一気にグローバル市場で開花します。というのも、2000年代は「オンラインゲーム」と「ゲームのダウンロード販売」がメジャーになり、ソフトの生産および在庫管理をしなくても世界に向けてゲームを販売できるようになったからです。こうなるとスタジオの所在地や規模は関係なくなり、むしろ高いゲーム開発スキルと語学力を持つフィンランド人には有利な環境となりました。

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ここで登場したのが若者向けの2D仮想空間サービス「Habbo Hotel」です。1999年、創業者のSampo Karjalainen氏とAapo Kyrölä氏は友達のバンドからファン向けのコミュニティサイトの構築を頼まれ、ただテキストでチャットや書き込みをするのではなく、自分の”アバター”を介してチャットできる8bit風のチャットルームを開発しました。これがバンドとファンの双方から好評で、2人は即事業化を決断し、翌2000年8月に「Hotelli Kultakala」(フィンランド語で「金魚ホテル」)という名称でサービスを開始しました。さらに翌2001年に早くもイギリスに進出し、英語対応と共にサービス名称を「Habbo Hotel」に変更。最も拡大したときには11言語に対応し、150ヵ国以上から2億人以上ものユーザーがアクセスするまでに成長しました。Habbo Hotelの特徴は、ユーザーが自分のアバターを作ってホテルの一室に住み、他のユーザーとチャットやメッセージで交流したり、いろいろなエリアや他のユーザーの部屋に遊びに行ったり、パーティを開催したり、バーチャルペットを飼ったり、仮想アイテムを購入してアバターを着せ替えたり部屋の模様替えができること。これらの機能は現在も世界中に数多く存在する仮想空間サービスやアバターサービスの原型となり、またゲームそのものを販売して利益を得るのではなく、ゲーム自体は無料で提供し仮想アイテムや仮想通貨を販売して利益を得る「F2P(Free to Play)」モデルの原型となりました。

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続いて2001年、前述のRemedyが出世作となるPC向け3Dアクション・シューティングゲーム「マックスペイン」をリリース(パブリッシャーはRockstar GamesとTake Two Interactive)。後に同作はPS2、Xbox、iOS、Androidにも移植されて750万本以上を売り上げ、後述のRovioやSupercellが出てくるまでRemedyはフィンランドで最も稼いだゲーム会社となりました。

2003年には米ValveがPC向けゲームのダウンロード販売プラットフォーム「Steam」をオープンしたため、自分たちが開発したゲームをダウンロード販売するゲームディベロッパーが一層増え、フィンランドのインディゲーム界隈が活況を見せはじめました。その一方、”コケて”しまったゲームプラットフォームも存在しました。

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これは携帯ゲーム機ではありません。Nokiaが2003年10月にリリースした、ゲーム機能、音楽プレイヤー機能、動画プレイヤー機能、PDA機能を合わせ持つ多機能携帯「N-Gage」(エンゲージ)です。同社は同名のブランドで携帯電話向けゲームプラットフォームも併せて展開。参入ディベロッパーにはセガやハドソン、タイトー、カプコン、EA、Activisionといった大手も名を連ね、PCとの連動機能や他ユーザーと一緒に遊ぶCo-Play機能、友達登録やメッセージなどのSNS機能など、後に大ブームとなるソーシャルゲームプラットフォームを先取りしたようなサービスを提供しました…が、肝心の携帯電話本体が「形が変」「持ちにくい」「通話しにくい」「画面が小さ過ぎる」など大不評。それでもプラットフォームは2010年まで提供を続けましたが、たいして話題になることもなくひっそりとフェードアウトしてしましました。

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「画面が小さ過ぎる」といっても実際のサイズは日本のガラケーの画面とそんなに変わらないんですけどね。

ここで興味深いのは、同時期の日本では既に携帯電話向けゲームが定着していたことです。2001年には各キャリアが独自のアプリマーケットおよび課金サービスを提供しており、2003年当時は3Dアプリすらありました。それを経て2006年に「モバゲータウン」(現Mobage)がオープンし、翌2007年にモバイル版GREEが「釣り☆スタ」で携帯電話向けゲームに参入したことにより日本のモバイルゲーム市場がほぼ確立され、携帯電話でゲームをプレイすることが完全に当たり前の風景になりました。
いち早く「いずれ人々は携帯電話でもゲームをプレイするようになる」ことを予見していたNokiaが、自社の携帯電話向けゲームプラットフォームでコケてしまったとは実に皮肉な話です。もしもこの時「N-Gage」が成功を収めていたら、Nokiaとフィンランドのモバイルゲーム市場はまた違った運命を辿っていたでしょう。もしかしたらNokiaの凋落はこの時から徐々に始まっていたのかもしれません。

そして「N-Gage」と入れ替わるように2008年に米Appleがアプリマーケット「App Store」をオープンしたことにより、「ゲーム開発大国フィンランド」を一躍世界に知らしめる大ヒットゲームが登場します。

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【レポート】フィンランドのゲーム開発の歴史が丸分かり! タンペレの「フィンランドゲーム博物館」に行ってきた
Rovio Entertainmentのスマホ向けひっぱりアクションパズルゲーム「Angry Birds(アングリーバード)」です。Rovioは2003年にASSEMBLY内で開催されたNokiaとヒューレット・パッカードがスポンサーの携帯電話向けゲームの開発コンテストで優勝したチームが創業したモバイルゲーム開発企業で(当時の社名はRelude→2005年にRovio Mobileに改名)、創業当時は携帯電話向けゲームを開発していましたが、App Storeのオープンに伴いiOS向けゲームアプリの開発のみに的を絞り、2009年12月に同社52本目のゲームタイトルとして「Angry Birds」をリリースしました。その後の大ヒットはご存知のとおり。全世界累計30億ダウンロードを突破し、ゲームだけにとどまらずグッズ化、書籍化、アニメ化、映画化とクロスメディア展開を行い、これを踏まえて2011年には「モバイルゲームにとどまらず多彩なエンターテインメントを提供する企業になる」との目的から社名も現在の「Rovio Entertainment」となりました。

これ以後、フィンランドからはカジュアルゲームから雰囲気ゲー、位置ゲー、奇ゲーとありとあらゆる種類のスマホ向けゲームがリリースされる百花繚乱状態となりますが、2012年にAngry Birds以上に”稼ぐ”モンスター級のモバイルゲームが登場します。

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【レポート】フィンランドのゲーム開発の歴史が丸分かり! タンペレの「フィンランドゲーム博物館」に行ってきた
Supercellのスマホ向け戦略シミュレーションゲーム「Clash of Clans(クラッシュ・オブ・クラン)」です。Supercellは2010年に設立されたゲーム開発企業で、設立当初はPC向けのブラウザゲーム「Gunshine」を開発・提供していましたがすぐにモバイルゲーム開発に方向転換。2012年にリリースした「Clash of Clans」はF2Pモデルの成功例となり、リリースの1年後には1日だけで課金収益が240万ドル(約2.7億円)を超えるほど”稼ぐ”ゲームとなりました。2013年10月には日本のソフトバンクとその子会社ガンホーが同社の株式の51%を15.3億ドル(約1732億円)で取得し買収。2016年6月にはその株式を今度は中国のテンセントが73億ドル(約8267億円)で取得しいずれも大きな話題となりました。

■次に”来る”のは何か?
Supercell以後もフィンランドからは桁外れのダウンロード数や資金調達額、課金収益額を叩き出すモバイルゲーム企業が次々と出てきますが、今一番アツいジャンルは…

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VRゲームです。こちらは昨年リリースされたMindfield GamesのHTC Vive/Oculus Rift向けVRゲーム「P·O·L·L·E·N」。現在フィンランドには100社以上のXR(VR/AR/MR)系企業が存在し、彼らの2015年の総収入が130万ユーロ(約1.7億円)だったのに対し2016年には610万ユーロ(約8億円)まで増加と、たった1年で市場規模が4倍に成長しています(フィンランドVR協会(Finland Virtual Reality Association)フィンランド技術庁(Tekes)が発表した調査レポートはこちら)。

このように、一通り展示を見て周ればフィンランドのゲーム開発の歴史が全て分かるようになっている「フィンランドゲーム博物館」ですが、最後にVRゲームが紹介されていることからもお分かりのとおり、ここは現状の展示物で完成しておらず、フィンランドのゲーム業界が成長するにつれて変化していく現在進行形の博物館となっています。今後フィンランドのゲーム業界に新たなムーヴメントが起こったり、新たなヒットタイトルが生まれたり、新たな資料をゲーム会社が寄贈するたびに展示内容は変化し見どころが増えていきます。なのでまた一年後、二年後に行ったら別の展示物が見られるかもしれません。

なお、展示されているゲームのほとんどはその場で実際にプレイすることができ(古いゲームもLinuxで再現)、展示エリアの最後の方にはフリープレイモードに設定されたアーケードゲームコーナーまで用意されています。

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【レポート】フィンランドのゲーム開発の歴史が丸分かり! タンペレの「フィンランドゲーム博物館」に行ってきた
無論これらも最初に支払った入館料のみでいくらでも遊び放題。各展示ゲームを見てプレイしてアーケードゲームコーナーでも遊んで…となると駆け足で周っても2時間、じっくり周るなら3時間は必要になります。他の博物館も見るとなればやはり丸一日は必要になるかもしれません。

ということで、ゲームに関する仕事、特にゲーム開発に携わっている人なら絶対楽しめる博物館で、ここを見るためだけにタンペレに行ってもいいくらいです。日本のゲーム業界人も是非「フィンランドゲーム博物館」を訪れてみて下さい。

2017年フィンランド渡航に関する記事はこちらから

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