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Habbo Hotelの10年の歩みを振り返ってみる

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フィンランド発のティーンエイジャー向け2D仮想空間「Habbo Hotel」が今年でめでたく10周年を迎えることは先日もお伝えしたが、それを記念して、運営元のSulake社からこの10年を振り返るスライドが発表された。Habbo Hotelはどのようにして生まれ、全世界規模のサービスへと成長したのだろうか?

現在Habbo Hotelは11言語のバージョンが作られ32ヶ国でサービスを行っており、150ヶ国以上からユーザーが集っているという。サービス開始からこれまでに約1億7200万のアバターと1億2000万の部屋が作られ、月間ユニークユーザー数は1500万人にも上る。
しかし、そんなHaboo Hotelも10年前はフィンランドの小さなオンラインアプリケーションだった。

Habbo Hotelの10年の歩みを振り返ってみる

1999年、当時20歳だったSulakeの共同創業者であるSampo Karjalainen氏とAapo Kyrölä氏は趣味の一環として、友達のバンドのファンのコミュニティとしてチャットルーム「Disco」を開発した。これは当時から既に単純ではあるがアバター機能を実装しており、あっと言う間にフィンランドを飛び越え世界中から多くのファンが集まるようになった。そこで2人はこれを本格的に事業化することを決め、このチャットルームのシステムを使用して携帯電話会社の広告キャンペーンでアバターを使ったゲーム「LUMISOTA(フィンランド語で”雪合戦”の意味)」を開発した。ちなみにこの雪合戦ゲームは今でもHabbo Hotel内のソーシャルゲームとして残っている。

Habbo Hotelの10年の歩みを振り返ってみる

尚、両氏はこの時期に既に仮想通貨と仮想アイテムを使用したビジネスモデルも構想しており、その実現のため2000年5月にSulake(”ヒューズ”の意味)を設立して独立。2か月でチャットルームのシステムを整備しHabbo Hotelの全身となるアバターコミュニティ「Hotelli Kultakala(”金魚ホテル”の意味)」をオープンした。

Habbo Hotelの10年の歩みを振り返ってみる

以後、Hotelli Kultakalaはフィンランド国内でティーンエイジャーを中心に順調にユーザー数を伸ばしていったが、なんとその1年後の2001年に早くも海外展開に踏み切った。海外ローカライズ第一弾として英語版を製作しまずはイギリスへ進出。その際サービス名称をHotelli Kultakalaから特に意味を持たない「Habbo」という造語を加え「Habbo Hotel」に改名し、現在のHabbo Hotelの体裁が完成した。それ以後2年間でSulakeは次々と世界の主要言語のバージョンを作り破竹の勢いで世界進出。わずか10年でNOKIAやmarimekko(ファッションブランド)などと並ぶフィンランドを代表する国際企業の一つに成長した。その後の展開は前述のとおり。

Habbo Hotelの10年の歩みを振り返ってみる

Sulakeの記事はこちら
http://www.sulake.com/press/releases/2010-06-14-Habbo_Hotel_Turns_10_Years_Old_and_the_Success_Story_Continuesx.html

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